はじめに
発達に課題がある子(発達障害児やグレー児)を育てるのは本当に大変です。
そのような子達の母親は精神的な病気にかかっている人が多いそうです。
私もストレスから病気になってしまいました。
けれど、私が一番辛いのは子どもではなく夫です。
メニエール病は現在治療中。(2019年6月追記 メニエールは寛解しました)
つい最近、私が過呼吸を起こして救急車で搬送されました。
未診断ですがパニック障害か、その一歩手前ではないかと思います。
子どもの影響も考えながら、なぜここまで病気になったのか書きたいと思います。
「自分はそうならない」と思っているあなた、私もその一人でした。
夫の話が読みたい方は、下記の目次「夫にも特性があり話ができない」から読んでください。
1年後の記事はこちら→続くカサンドラ症候群
育児に手間がかかりすぎる
発達に課題がある子供や発達凸凹の子供の育児(以下、発達凸凹育児)は発達が標準通りの子供(以下、定型児)と比べると育児の手間がかかりすぎます。
私は息子しか産んでいませんが、それは息子に手間がかかりすぎるため二人目を産めなかったという理由が大きいです。(他にも不育症で妊娠継続に努力が必要だったこともありますが、息子に手がかからなければ産んでいました。)
一人っ子なのに時間も手間もお金もかかります。
定型児は教えなくても自分から学び取ることができます。
息子は教えないと自分から学び取ることはできません。
一つ一つの行動をすべて言葉に出して手とり足とり説明しなければならないのです。
子供が幼い時なら仕方がないと思えますが、発達凸凹児は精神的な成長がゆっくりな子が多く、親の努力は長期にわたって必要です。
物事がうまく進まない
では、丁寧に言葉かけをして教えればスムーズに成長するかと言うと、そうでもないのです。
もちろん丁寧な言葉がけで伸びる部分がありますが、必ずしも親が望む部分が、親が望むスピードで成長するとは限りません。
親がどれだけ頑張っても子供の成長の時期が来ないと伸びない部分もあるので、どうしてもストレスが溜まってしまいます。
息子の具体例 ~お出かけすらできなかった~
うちの場合は2・3歳の頃はお出かけすら難しかったです。
息子には多動があり、電車の切符を鞄の中から取り出すために一瞬私が手を離したすきに息子は走り出し、杖をついて歩いているお年寄りにぶつかったことがありました。
幸い相手の方が倒れることはなく平謝りでしたが、ものすごく怒られました。(当たり前です)
それまではずっと手を離さずに注意していたのに、改札を出る切符を取り出すため手を離した一瞬で息子は問題を起こす子でした。
言葉がけも常にしていましたし、問題を起こした時はその場でその都度説明し「走りません、歩きます。」と具体的に話していました。
それでも低年齢のうちは無理でした。
2歳の頃はお出かけどころかスーパーに買い物すら行けずに大変でした。
子供が思い通りにならない
これは親の心持ちの問題もあるかもしれませんが、子供が全く思い通りに動いてくれないことにとてもストレスを感じました。
さきほど書いたように一瞬の隙で問題を起こしてしまうこともそうです。
『声をかければ、一瞬手を離してもその場にいてくれるだろう』という親の期待はいつも裏切られていました。(支援を受け療育をし小学生になった今は勝手に走り出すことはなくなりました)
子育てが初めてだったので過度に期待をしすぎてストレスを感じてしまっていたのかもしれません。
けれど、周りの子供たちは突然走り出したりしませんでした。
親の言うことをある程度聞ける子が多かったです。
『よその子はよその子』と早くに思えれば良いのですが、診断がつかない微妙な時や、診断がついてもそれを受け入れるまで、受け入れてからも何かあるたびに心は揺さぶられました。
当時の主治医が言っていましたが、2歳にもなると行ったことのない場所で親の前を走ったりはしなくなるそうです。(小さくても危険が分かる)
紐が切れた風船のように自由気ままに走って行ってしまうのは特性である場合が多いと言われました。
息子の具体例 ~「やめて」が言えない~
うちの場合は子どもが過敏な子なので、誰かに叩かれたりすると不安で行動がおかしくなります。
かと言って「やめて」を言えずにヘラヘラ笑ってしまいやんちゃな子のターゲットにされてしまうタイプです。
家で荒れ癇癪を起こし、お風呂に入れるのも歯みがきをさせるのも大変でした。
寝つきも悪く3・4歳くらいまでは毎日寝かしつけに2時間ほどかかりました。
けれど園や学校では「楽しそうに過ごしています」と言われるばかりで、先生の協力はあまりしてもらえず子どもが自分で乗り越えるしかありませんでした。
しかし子どもは園で「やめて」すら言えず、家で荒れるの繰り返しでした。
この部分は今でも続いており、不登園、不登校に何度もなりかけています。
(2022年追記、やめてが言えるようになり荒れることが激減しました涙)
どんなに親が頑張っても「やめて」と相手に言ったり先生に助けを求めたりが出来ないのです。
(正確に書くと、年長の頃には環境が整い出来るようになりましたが、就学して支援級の環境が合わず出来なくなってしまいました。親だけの努力ではどうしようもないと実感してます。)
周囲に理解してもらえない
2・3歳で親の言うことを聞かず走りだしてしまう息子でしたが、周囲に話しても「小さい子ってあるよね」と言われてただのあるある話になりました。
それで満足していた時期もありましたが、息子の行動が行き過ぎているのではと思い始めると『周りの人に理解してもらえていない』と感じるようになりました。
かと言って、「変だ」「おかしい」などと言われても傷ついていたと思いますので、難しいところです。
ただ「大変だね」「がんばってるね」と言ってもらいたかっただけなのかもしれません。
周りに迷惑ばかりかけて、周りの目が気になりすぎてしまい、ストレスを感じすぎていたのだと思います。
これは今でもあり、周囲に理解してもらえない、どうみられるだろうかと気にしすぎることが私の病気へつながったのだと思います。
「良いお母さん」じゃなくってもいい。そんなくらいの気持ちでいた方が良いのかもしれません。
療育的な関わりとなると「怒ってはいけない」とされていますし、実際怒っても解決しないのですが、そうなるとお母さんという一人の女性の気持ちはどこへ行けばよいのでしょうか?
感情を出さずに我慢するということは、本当に本当に辛いです。
夫や親と協力できない
それでも身近な家族と気持ちを分かち合い、思い合っていればどうにかできたのかもしれません。
しかし夫は最初の頃は「息子はおかしいところなんてない。病院なんて必要ない」と言っていましたし、そう言うことが親として良い事とも思っていたようでした。
夫の理解がなかったので、夫を主治医の元へ連れて行きました。
主治医から夫へ厳しい事を言われてから息子の障害と向き合えるようにはなりましたが、夫から積極的に何かするということは今でも皆無です。
同じ親なのに、夫は息子の障害について調べようともしないし、言われたことしかしません。(言われてもしないこともありますが)
実両親に息子の障害を報告した時は否定も肯定もしませんでしたが、実両親には頼れなかった状況のため相談はできませんでした。
義両親は優しい方々で障害を報告した時も受け入れてくれましたが、のちに「多動でおかしいと思っていた」等言われ、腫れ物に触るような距離感になりました。
夫にも特性があり話ができない
一番のストレスは、夫にも特性があり、まともな話ができなかったことです。
主治医から言われましたが「発達障害の子の親も特性がある人が多い。母親はADHD系で薬で何とかなるけど、父親は無理。父親に大変な人が多い」だそうです。
私もADHDと言われると思い当たる節があります。
頭の中が多動で、片づけるのが苦手なのです。
「旦那さんはアスペルガー」
夫はと言うと非常に受動型です。(未診断)
「旦那さんはアスペルガー」という漫画がありますがご存知でしょうか?
夫との関係に悩んだときに読みました。
アスペルガーと言うと私は一方的で攻撃的なイメージだったのですが、私の夫もこの漫画の旦那さんのようにぼーっとしていて一見優しそうな人です。
私が外に出たくない時にお願いすれば夫は買い物に行ってくれます。
フットワークが軽いので言えば大抵のことはやってくれます。
それが愛情だと初めの頃は思っていました。
しかし、何かが違うと、この漫画のように私も思っていたのです。
カサンドラ症候群について興味がある方にはぜひ読んでみてほしいです。
なぜか普通のやり取りができない
夫は具体的に言えばやってくれますが、言わないと何もしません。
私が困ったそぶりをしても助けてくれません。
男性とはそんなもの、と言われることもありますが、私が夫と出会う前に付き合った男性達とは反応が違っていておかしいなと思ったのです。
私が過去に付き合った男性たちは、私の困ったそぶりには気づいたのです。
「大丈夫?」と心配してくれる人や、すぐに手助けしてくれる人が多かったです。
私の話を聞いて相手は理解し、さらに私のそぶりから意図をくみ取り、解決の仕方は人によって違えど主題は共有していました。
言葉で書くと難しく感じますが、人間って当たり前のようにこうやってコミニュケーションを取っていますよね。
けれど夫とはそれができないのです。
こちらからすべて明確に言葉にして、やってほしいことを具体的に伝えないとしてくれないのです。
人に関心がない
夫は人の心の機微が分かりません。
私が隣で泣いていても気づきません。
普通は隣にいる奥さんが目をこすったり鼻をすすりだしたら気づいて様子を見ますよね。
夫は気づきません。
テレビやスマホに過集中して他のことには一切気づかないのです。
鈍感、という言葉では表せないほどです。
私が台所で鍋を落とした時も、すごく大きな音がして私は咄嗟に大きな声を出したのに夫はこちらを見ることなくテレビを観続けていました。
どうして心配してくれないかと話すと「気づかなかった」という時もありましたし「気づいたけど大丈夫だと思ったから。」と言われました。
大きな音と悲鳴がして気づかないなんてありえないと思いました。
でもせめて気づいたときは、大丈夫だと思っても心配して「大丈夫?」と声をかけたり様子を見に来てほしいと伝えました。
するとそれから夫は「大丈夫?」と言ってくれるようになりましたが、こちらが『こうして』と伝えたことだけを実行されても物足りない気持ちになるのでした。
そこに一言「大丈夫?大きな音で驚いたね」とか一言でいいので、人間らしい感想が加わっていたり、義務だけで言っている訳ではないと伝える努力をしてくれていたら違ってたんだと思います。
夫は言われたことを言われた通りに行うだけなので、「大丈夫?」と聞いてきて私が「大丈夫だよ」と答えるとそのままテレビを観続けました。
私に言われたからやっているだけに見えました。
私が「大丈夫?」と言ってほしいと言ったのは『心配してほしい』『私に興味を持ってほしい』という意味で、無感情で義務感だけの「大丈夫?」という言葉が聞きたかったわけではないのです。
けれど夫は一応私が言ったことは実行してくれていたので、こう思う私が悪いのか、わがままなのか、おかしいのかというモヤモヤした気持ちが続いたのでした。
育児が始まり深刻化
基本的に夫は上記に書くような反応で、言えばやってくれますが言わないと無関心。
夫が自分のタイミングでたくさん話すときはありましたが、私の話を聞く時は「うん」だけで話が広がりません。
特に私が育児の愚痴や悩み事を言っても「うん」ばかりなので気分が全く晴れず辛かったです。
私の気持ちに共感してくれたりねぎらってくれたり新しい視野を提案してくれたりといった反応がありませんでした。
ある時「頑張ってるねって言ってほしい」「日々の感謝の気持ちを私があなたに伝えているように、あなたからも聞きたい」と私から具体的にお願いしました。
すると「君は頑張っている」「いつもありがとう」と言ってくれるようになり、初めはそれで満足していましたが、いつも同じ言葉の繰り返しでした。
だんだん、ロボットにプログラミングしているだけのような気になっていきました。
人間らしい発展はないのかと、むなしかったです。
まだ子供産む前だと、私に余裕があったのでやり過ごせました。
不満は落ち着いて伝えられましたし、「次はがんばる」という夫に希望も持てました。
けれど子供が出来、初めての育児で余裕がない上に、子供が発達障害でさらに余裕がなくなった時に、夫の面倒まで見られなくなったのです。
夫婦とは支え合って生きていくものだと思っていました。
いざとなったら、夫はしっかりしてくれると、どこかで期待もしていました。
けれど夫は変わらなかったのです。
私が「カサンドラ症候群かもしれず辛い」と相談した時も、夫は『カサンドラ症候群』を調べようともせず検索すらせず私の話を聞くのみでした。
なぜ積極的に私に関心を持ってくれないのか、夫婦の問題を解決しようとしないのか、夫は何を考えているのか、全く理解が出来ませんでした。
結婚したのに相手と感情のやり取りすら出来ないとは思ってもみませんでした。
心のよりどころがない生活がこんなに辛い物とは思わず、結婚生活はもうすぐ10年です。
私なりの解決策
本を読んだりネットを検索したりして、二つ解決策を考えました。
一つ目は、夫は同居人と割り切ることです。
言い方は良くありませんが「夫はATM」と割り切っているという話をネットで読みました。
愛情を持ちあうことは諦め、夫に対しては稼いで来てくれるだけで良いと思うということです。
息子の父親だから育児をやって当たり前という思いを捨てて、「なぜかわからないけど一緒に暮らして、たまに息子に良くしてくれるおじさん」くらいに思うと気が楽になりました。
この考えだと積極的に何かしてくれなくても、息子と遊んでくれるだけども有難いと思えました。
けれど、やはり一緒に暮らしていくと夫に期待をしてしまうのです。
心を通わせられないなんて悲しいと、思ってしまいます。
二つ目は、離婚です。
いろいろ漫画や本を読みましたが離婚を選択する人は多いです。
やはり耐えられないのです。
とても分かります。
私も何度も離婚を考えましたし、今でも考えます。
でも子供が発達障害と言うことで、離婚後の子供の荒れ具合を想像すると踏み出せません。
今思えばもっと小さい頃に離婚して保育園に入れながら私が働けば良かったのかもなどと思うこともあります。
ただ、息子がいまほど成長していたかは分かりません。
情緒が不安定になっていたかもしれず、どうすれば良かったのか、今でも正解は見つかりません。
そして病気に
何度夫と話しても理解し合えず、なんとなく時間だけが過ぎ、私なりに心の持ち方など工夫してやり過ごしていました。
しかしある時『もうこの人とは本当に理解しあえない』と実感しました。
私が真剣に話していたときに「俺は無理」と突き放されたんです。
夫は「自分では解決策は考えられないし、なるみ(私)の気持ちも分からないし、自分自身の気持ちや考えもよく分からない」と言い捨てました。
これらのことについては何年も前から話し合っていました。決して突然求めたことではありません。調べる時間や自分を見つめ直す時間は何年もあったはずです。
その上ででた、この言葉…。
確かに10年近く話し合ってきて、夫の変わりようは非常にゆっくりで、言ったことしかやってくれない、または言ったこともやってくれないこともあり、この時は私の不満が募り夫を責めるように話してしまいました。
それで夫もやっていられないと思ったのかもしれません。
けれど、10年。
10年も夫は何をしていたのか。
10年かけて改善を求めてきたのに、真摯に受け止めてくれなかった夫に私は嫌気がさしました。
夫は自分から本を探して読もうともしない、ネットで検索して調べようともしない、私に聞くこともしない、何もしないくせに無理と言う夫の態度は、私には真剣に取り組んでないように見えました。
なぜ夫婦の問題なのにこうも無関心で他人事なのか。
無理で済まされるものなのか。
私の苦しみはどうするのか。
こちらこそ「夫とはもう無理」と心底思い、夫にも伝えました。
夫はさすがに私の態度が変わったことに焦ったようで、その日から私に話しかけてくるようになりました。
でも話は一方的でこちらの気持ちは一切無視で、全く心地よいものではなかったのです。
そのような私の気持ちを考えていない夫の行為そのものが不快で、結局何も変わっていないし分かっていないことを露呈したのでした。
そしてそれからすぐに、耳の閉そく感とめまいが始まり、私はメニエール病になったのです。
病気の経過
メニエール病
低音部の難聴が右耳に起こり、薬でいったんよくなったもののまた悪くなり、両耳の聴力が低下しました。
けれど日常会話はできる程度でした。
目眩がひどく、視界が回転しているような目眩に襲われました。
ひどい時は横になって目をつぶっていても揺れていて、眠らないと気分が悪かったです。
なにもできませんでした。
幸い今は聴力が回復し、めまいも軽いものしかなくなったので少しずつ家事も出来るようになってきました。
過呼吸
原因は何か分からないのですが、息が苦しくて救急車を呼んでしまいました。
呼吸が出来なくなって本当に死ぬかと思いましたが、まさか過呼吸とは思いませんでした。
とても苦しかったのです。
救急車に乗ってから怖くなって手が震えて涙が出ました。
酸素は十分に足りていたらしく、それを聞いて落ち着けました。
薬などは使わずとりあえず息ができるようになったので自分で「パニック障害?」と疑問を持ちました。(診断はされず)
もともと喘息のため息苦しさはたまに経験していたので死ぬと思いました。
その時はパニック状態もあったため自分の状態が分かりませんでした。
過呼吸と分かっていたら救急車を呼ばなかったので、過呼吸と分かった時は自分が情けなく、恥ずかしい気持ちになりました。
まだパニック状態でしたが「こんなことで救急車を呼んでお手数をおかけしてしまい申し訳ないです」と救急隊の方に言うと、「そんなことありませんよ。心配になったら呼んでくれたらいいんです。それが僕たちの仕事ですから」と優しく言ってくれました。
心が軽くなり、有難いお言葉でした。(もちろん次からは呼びませんが)
やっと変わり始めた夫
救急車に乗っている時に、救急隊の人から夫に連絡がいきました。
夫は仕事中でしたが迎えにきてくれました。
「妻が救急車で運ばれた」ということで、夫は病院に向かっている途中とても不安になったそうです。
でもそのような経験でやっと本気で向き合わなければならないと実感したようです。
その日に改めて夫と話し合いました。
私は何年も前から、「このままでは私は精神的な病気になるかも」「そうなる前に変わってほしい」と夫に言っていました。
私にそのような病歴があったわけではありません。
でもそうなるだろうなと想像できたのです。
それくらい辛い思いを日々していたのです。
けれど夫は「ふーん」くらいの反応で、今思えば本気にしていなかったのだと思います。
私が最初に言ったときにちゃんと対応をしてくれていたら…と今でも思います。
そうしたら、こんなに辛い思いをしなくても済んだのに、と。
夫は状況判断が苦手なのだと思いますが、救急車というのが一番衝撃的だったのでしょう。
その日の話し合いからスムーズに進みました。
夫は考えたことや気持ちもちゃんと言葉にして表現してくれて、何を考えたのかが分かりやすかったです。
今までは、私がいくら言っても、そんなことすら話してくれなかったです。
夫が言うにはようやく何年もかかって言葉にできるようになったそうです。
それが今、救急車で運ばれた日、と言うのは正直信じられない気持ちですが…。
私が病気になったのは、夫のことが信じられなくなった、心のよりどころがなくなったためだと思います。
簡単に離婚できる性格ならここまで深刻にならなかったのでしょうが、できれば離婚はしたくありませんでした。
夫が今までにないくらいに変わり始め、それがもし続くのならもう一度信じてみようと思いました。
そう思うだけで、心が軽くなったのです。
やはりストレスが原因だったんだと実感しています。
ただ、これが最後のチャンスです。
お互いに。
今後のこと
もし今だけ変わったように見えてやはり夫が根本的に変われなかった場合は、別居を考えています。
カサンドラ症候群の本を読むと、妻が我慢するか、離婚かのどちらかしか選択肢がないようです。
しかし、妻ばかり我慢するのっておかしくないですか?
夫も結婚を継続したいなら努力しないと無理ではないでしょうか。
結婚とはどちらか一方だけが努力しても成り立たないと思うのです。
私は今回のことである意味踏ん切りがつきました。
私だけが頑張ったら私が壊れるだけだ、と。(夫は夫なりに努力してるらしいのですが)
今回で夫が変われないようなら、もう別居します。
その先は離婚でしょうが、それでもいいです。
私のカサンドラ症候群の結末がどうなるかは分かりません。
本やブログを読む限り、あまり良くない結末が多いので、ここでは良い結末をご報告出来れば良いなと思いますが…。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
1年後の記事はこちら→続くカサンドラ症候群
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