ある日突然「障害児」になった息子 ①

発達
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はじめに

2011年生まれの息子は今、特別支援学級に通っています。

産まれた時は健常児として何の異常もなく健やかに育っていきました。

けれどある日突然、息子は「障害児」になってしまったのです。

その時の経緯と親の気持ちを書いていきたいと思います。

【主な登場人物】

息子    たくま

母親(私) なるみ  です。

そのうち夫も登場します。

順調な赤ちゃん時代

 

息子が産まれた時は3000gで大きなトラブルなく出産し、1歳になるまでは特に気になることはありませんでした。

強いて言えば寝かしつけと夜中の授乳が大変だったことくらいで、それは周りのママ友に聞いても多くのママが経験していることでした。

身体的な発達である、寝返りやお座りつかまり立ち一人歩きは、平均より1カ月から数カ月早かったです。

一人で歩き始めたのは0歳11ヵ月でした。(後に知ったのですが早すぎてもダメだそうです)

精神的な発達は、おもちゃに興味を持ち始めたのが0歳4カ月、7カ月で人見知りが始まり私がトイレに行くだけでも大泣きでした。

知的な面では、こどもちゃれんじbabyを受講し、月齢に合った知育グッズに興味を持ち夢中で遊んでいた息子を見て順調な発達だと思っていました。

離乳食はご飯や野菜も普通に食べました。

気分によってホウレンソウなどの緑色の野菜を嫌がることもありましたが、よく言われるような「白米しか食べない」のような極端な偏食はありませんでした。(後に偏食がでてきます)

違和感を感じ始めた1歳

ことばの遅れ

1歳を過ぎ、早い子だと言葉が出ている子もいましたが、息子はまだまだ言葉が出ていませんでした。

でもその頃は、育児書に「個人差があるから心配しすぎなくて良い」と書かれており、あまり心配していませんでした。

 

ことばの遅れを気にし始めたのは1歳半健診でした。

保健師さんに「わんわんはどれ?」ど聞かれると息子は指差しをしており「指差しをしているのでそれほど心配はないけれど、言葉が出ていないので要観察にしておきますね。3か月後に様子を確認するお電話をします。」

周りの子は遅い子でも1歳半になるとみんな言葉が出ていました。

段々と心配になり、3か月経っても発語がなかったので保健師さんからの電話を待つようになりました。

しかし、保健師さんからの連絡はずっと来なかったのです。

 

近所に住んでいたA君は生まれたのが息子より1カ月早くよく一緒に遊んでいました。

A君も言葉が遅かったのですが、単語は出ていました。

A君のお母さんと言葉が遅いことについて話していると、こう言われたのです。

A君のお母さん「うちの子も一歳半健診で要観察になったけど、電話が来なくて私から電話したよ。そしたら簡単な発達検査をしてくれて、いろいろ相談に乗ってくれたんだ。何か心配なことがあれば気軽に電話していいですよって言ってたよ。」

てっきり保健師さんから連絡が来るものだと思い込んでいたので、自分からかけるのは気が引けていました。

もともと私は人に迷惑をかけることが嫌いな性格だったので、忙しそうな保健師さんに電話して嫌がられないかとか、大したことないのに電話して来て面倒な親と思われないか等を気にしていました。

でも電話が来なければ自分からかけてもいいのだと、その時ハッとしました。

すでに1歳半健診から5カ月が経っていました。

 

焦ってすぐに電話して相談に行くと、保健師さんが簡易的な発達検査をしてくれました。

いくつか遊びのような検査をしてから保健師さんはいいました。

保健師「うん、この子は大丈夫!しっかり目が合っているし指さしもしているし、こちらの言うことが分かってる!まだ言葉が出ないのは言葉をため込んでいるだけ。この子は大丈夫!」

え?大丈夫なんですか?と拍子抜けしたのを覚えています。

食い下がる私に保健師さんは「何が心配なの?」と言いました。

実は後で書きますが、この頃の困りごとは他にもありました。

それは息子のテンションが高すぎる事でした。

楽しいことがあるとテンションが上がりすぎてしまいこちらの指示が一切通りませんでした。

走り回ることもたくさんありました。

興味のあるもののところへは、紐の切れた風船のように自由にピューっと走って行ってしまうのでした。

ADHDなんじゃないかと疑っていました。

「テンションが高すぎるんです…」と保健師さんに言っても、「・・・?この子は大丈夫でしょう。今座っているし」と言われるだけでした。

保健師さん「どうしてもお母さんが心配というのなら、ちゃんとした発達検査をすることもできます。その時はここに電話してください。」

と児童相談所の電話番号が書かれた紙を渡されましたが、「これはみんなに渡してる」と言われてよほど心配でない限り電話してはいけないのかなと変に気を遣ってしまったのです。

なんとなく保健師さんの態度から、心配性なお母さんというレッテルを貼られている気がしました。

この相談の前後に、息子が1歳11か月の頃「ママ」という言葉を言うようになったのもあり、しばらく様子を見ることにしました。

そして数か月間、今考えると後悔しかない「無駄な様子見」をしてしまうのでした。

 

高すぎるテンション

実は一番心配していたのは言葉ではなく、高すぎるテンションでした。

その場に合わないほど急にテンションが上がったり、座っていなければならない時に走り回ったりしてしまうのでした。

集団に参加できないことも多々ありました。

児童館の育児クラブでもみんながリトミックをしている時間に息子はおもちゃで遊んだり外へ行ったりしていました。

まだ1歳だからそんなこともあるかなと思っていましたが、2歳になっても同じでした。

集団に参加できない

2歳から2歳6か月の子供たちが参加する育児クラブで20人ほど子供が集まっていましたが、集団から離れて好き勝手に遊んでいたのは息子とB君だけでした。

後にB君のお母さんとは療育の講演会で再開することになります。

お互い子供が療育に行っていることが分かり「ああ・・・(納得)」という雰囲気がありました。

やはり2歳の時点で集団行動できないというのは少数であり、療育での訓練が必要となるようです。(私の個人的な意見です)

何%が療育に通うのか

話は少しそれますが、その20人ほどの集団は元々は40人の子供が登録でき子供の体調によって参加したりしなかったりで20人ほどが平均してきていました。

私が知っている限りで、その集団で一緒だった子供のうち5人は療育を受けていました。(息子含む)

ちなみに当時住んでいた地域は診断がなくても親の希望があれば療育に通えました。(息子が4歳の時に他県に引っ越しました)

療育に通うことのハードルは低かったと思います。

5人と言う数字は育児クラブに通っている当時は知らず後になって療育先で出会ったり病院で会って知った人も含めています。

少なくとも私が知る限りでは12%(40人中5人)の子供が療育に通っていたので、当時の印象では多いと感じていました。

全員と知り合いだったわけではないので、もしかするともっと多い可能性はあります。

一番苦しかった2歳

ことばの遅れ

1歳11か月で発語、2歳3か月で2語文がでました。

息子にしては急成長でした。

しかし周りと比べると発音が不明瞭でした。

私じゃないと聞き取れない言葉ばかりで、ママ友の子供はもう普通に会話が出来る子もおり焦るようになりました。

 

癇癪と自傷

1歳後半くらいからでしょうか。

息子の想いが通らなかった時に、癇癪を起こして頭を床にうちつけたり後ろに勢いよく倒れて後頭部を床で打つことが増えました。

言葉が遅かったので、伝わらない苛立ちを表しているのか何なのかよく分かりませんでした。

児童館に頭を床に打ちつける子がおりそれを息子が見て驚いていたことがあったので、意思表示の方法だと誤解したんだと思っていました。

 

疎外感と焦り

A君が2歳になってすぐに療育に通い始めて急激に成長しました。

A君ママは「言葉が遅いから」と言っていましたが、2歳過ぎでA君は30語ほど単語を話しており、息子はまだ数語でした。

ただでさえ息子よりもたくさん話せるA君が、療育に通い始めてさらに言葉が増え落ち着いていくのを間近で見てただただ焦ってしまいました。

保健師さんに電話したこと、簡単な発達検査で大丈夫と言われたことをA君ママに相談すると

A君ママ「私は心配だったから、児童相談所の電話番号にすぐかけたよ。たまたま空いている療育があって〇月から通い始めたんだ。結局親の希望が通るみたいだよ。」

と言われ、またしてもA君ママの行動力に驚くばかりでした。

電話して良かったんだ・・・と。

すぐに私も電話しました。

発達検査は非常に混んでいて、なんとそこから5カ月先しか予約が取れなかったのです。

すでにA君は療育に通っていてたくさん成長していたのに、私の行動が遅いばっかりに発達検査すら受けられないととても落ち込んだのでした。

 

A君は息子とは課題が違うタイプのお子さんで、集団にも参加出来ましたし大人しく遊べる子でした。

息子はなかなかみんなと一緒に遊ぶことが出来ずに私は一人で息子に付きっきりでした。

私だけ他のママ達と話すこともできず、ろくに会話もできない息子につきっきりで疲れ切っていました。

私もみんなと話したい。そういう思いが強かったです。

そして言うことを聞かない息子でしたので、一つ一つの行動をさせるのがとても大変で、お出かけするだけでへとへとでした。

集団に参加できない息子を見るのも辛かったです。

だんだんとA君ママや他のママ友と児童館で集まって遊ぶことが辛くなっていき、育児クラブに参加しなくなっていきました。

 

流産

育児クラブに行くのが憂鬱になった頃、ちょうど妊娠をしました。

つわりがひどかったのでそれを理由に育児クラブに行くのをやめました。

息子の妊娠の時もそうでしたが、安定期が来るまではずっと気分が悪く1日に何度も吐いてしまうのでした。

食べたら吐く、食べなくても吐く、だったので本当に辛くずっと横になっていました。

しかしADHDではないかと疑うくらい多動の2歳の息子がいたので、全く動かないわけにはいかず大変でした。

私がトイレで苦しみながら吐いている時、息子は心配そうにこちらを見ていました。

背中をトントンしてくれたこともあります。

優しさが育っているのかなと思いました。

どうしても息子と遊べなかったのでこの時期は長時間iPadで動画を見せて過ごしていました。

あまり良くない思い、できるだけ動かずにしましたがちょっと遊んだこともありました。

それが良くなかったのか、安定期が来る1週前の妊娠15週でぱたりとつわりがなくなり、お腹の中で胎児が死亡していました。

この時は本当に辛く、何年か引きずりました。

すぐにまた妊娠したのですが、その時は化学流産しました。

 

発達検査

15週で流産して数日後に、息子の発達検査がありました。

新版K式発達検査(2001)というものです。

結果は、発達指数が 90台 でした。

当時の資料に平均精神発達と書かれています。

 

全体の指数は問題がなかったのですが、K式という検査は3つの項目があります。

姿勢・運動  80台
認知・適応  100台
言語・社会  70台
総合     90台

「姿勢・運動」は運動の発達を、「認知・適応」は物を操作したり形を把握していく具体的な作業の能力の発達を、「言語・社会」は言葉や人との関わりに必要な能力をみていきます。

「認知・適応」というのが分かりにくく感じると思いますが、ざっくり簡単に言うと、知的な部分を計る項目だと思います。

この3つの項目は多くの子供はだいたい100くらいになると言われています。

多少の誤差はあってもいいのですが、項目ごとの差が大きければ大きいほど良くないみたいです。

後に医師から聞いたのは「項目の差が20以上」かどうかがラインだそうです。

息子は「認知・適応」が最も高く「言語・社会」が最も低く、その差は20以上でした。

私は最初にこの結果を見た時に、知的な部分が高いから嬉しいような気になりました。

しかし「認知・適応」>「言語・社会」の差が大きければ大きいほど、子供が頭の中で思っている事を表現できず苦しむのだそうです。

そういえば、床に頭を打ち付けることはそうなのかもしれないと思い当たることがありました。

そして言葉は間違いなく遅れていることが分かったので、療育に通えば伸びるかどうかを結果を教えてくれた心理士さんに聞きました。

たどたどしく「まあそうですね、療育は効果があると思います」と言われたので、療育に通いたいと言いました。

なぜかあまり歓迎してくれる雰囲気はありませんでした。

総合の数値が90台あるから通わなくても良いという感じでした。

しかしハッキリと通いたい意思を伝えると渋々療育の空き待ちリストを持ってきてくれました。

なんと、療育はすでにいっぱいで空きを待っている人も多く、そこから半年待たなくてはいけませんでした。

とりあえずその日は家に帰ったのですが、モヤモヤしていました。

簡単な発達検査をした直後に児童相談所に電話して発達検査を受けていればすぐに療育に入れたかもしれないのに・・・と、自分の行動の遅さを責めました。

 

後日、言語聴覚士に見てもらう検査がありまた児童相談所に行きました。

当時住んでいた自治体では発達検査を申し込むと、家庭訪問→発達検査→言語聴覚士と面接、という流れでした。

家庭訪問では成育歴や困り感など聞き取りがありましたが、つわりがひどい時期だったのでよく覚えていません。

 

言語聴覚士さんは、とても話しやすい方だったので色々と関わり方など質問をしました。

その時気になっていたことも聞きました。

「療育に半年待ちならそれまで何もできないのですか?」と。

言いながら思わず涙があふれてしまいました。

流産直後で情緒不安定なのもあったかもしれません。

すると言語聴覚士の方はあくまで聞いた話ですけれどと前置きをした上で、「○○病院というところが感覚統合というトレーニングをしていて、とても良いと聞きました。おそらく今なら3か月くらいで始められるかと…」と教えてくれました。

今度はすぐに行動をしようと思い、すぐに病院へ電話しました。

そして、息子と私たち家族の運命を変えるような出会いがあったのです。

 

 

長くなったので続きます。

ある日突然「障害児」になった息子 ②

 

 

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