ある日突然「障害児」になった息子 ②

発達
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ある日突然「障害児」になった息子 ① の続きです。

 

はじめに

息子の発達を心配し始めた時に、私はインターネットで検索し続けました。

このブログも子供の発達が心配で検索しているお母さんやお父さんの目に留まればと思い書いています。

前回・今回は診断までのお話なので不安にさせてしまうかもしれませんが、この後息子は急成長をします。

本当に書きたいのはそこなので、良かったらブックマークしてください。

【登場人物】 2013年当時

息子(今井たくま)2歳     言葉が遅い男の子。癇癪を起こし自傷するがよく笑う子。

私(今井なるみ) 30代前半   子育ては初めてで分からないことだらけ。

M病院の初診まで

電話で予約

児童相談所の言語聴覚士に会ったのが息子が2歳半の頃でした。

すぐに「感覚統合と言うOT(作業療法)をしてくれる」というM病院に電話しました。

そこは個人病院でした。

医師は二人いるそうで、「院長のM先生は予約がいっぱいで初診が3か月後になり、他のもう一人の先生ならすぐに診てもらえるけどどうしますか?」と受付の女性に聞かれました。

3か月後だと息子は2歳9ヶ月です。

少し悩みましたがしっかり診てもらいたかったので院長のM先生で予約しました。

 

初診までの3か月間に、迷いと葛藤

1度目の流産の後、自宅で息子を育てながらの妊娠・出産は難しいと考えました。

息子を愛しいという気持ちはありましたが、癇癪がひどい息子の育児は辛いものでした。

言葉の遅れよりも癇癪や自傷、テンションが上がりすぎることが気になっていました。

 

私立幼稚園に願書

2歳児(4年保育)から預けられる幼稚園の説明会に参加し、願書を提出し、面接を受けて入園許可を頂いていました。

普通の私立幼稚園でした。

私が見る限りはたくまは「普通の子」に見えました。

癇癪や自傷も四六時中してるわけではなく、思い通りに行かなかった時にしていたので、幼稚園の面接では機嫌よく遊んでいたので特に目立つ行動もありませんでした。

その頃には息子は二語文を話し、周りに比べると滑舌が悪く言葉が遅いけれどそんなに気にならない程度でした。

言葉が遅かったので入園許可が下りるか心配していましたが、どこの園に行っても息子を見て門前払いをする園はありませんでした。

「こんなに成長したし、私の思い過ごしだったんだわ」

と、その頃にはそう考えるようになっていました。

それくらい私からすると息子は成長していたのです。

 

診察をキャンセルしようかという迷い

M病院の初診までの間にまた妊娠しました。

しかし、初診の1週間前に化学流産しました。

もし妊娠継続中でつわりがひどく行くのが大変であったならば、M病院の初診はキャンセルしていたでしょう。

M病院は電車を乗り継いで30分ほどの場所にあり、息子を連れていくのは大変なことは想像できました。

「息子が障害なはずがない。OTを受ける必要もないと医師に言われる可能性が高いし、初診に行くとまた『心配性な親』って思われるのが嫌だわ」

と思っていました。

夫にも相談し「行かなくてもいいんじゃない?」と言われていました。

ただ、残念ながら流産してしったので多動のたくま一人を連れていくくらいならなんとかなる体調でした。

せっかく3か月待ったのだし、今後も安心して子育てをするために『心配性な親』のレッテルを貼られに行こうか、という気持ちで診察を受けることにしました。

この時は「言われたとしてもADHD。まだ低年齢だからADHD疑いと言われるかもしれない」と思っていました。

インターネットで色々と検索していましたが、まだ2歳だと診断は下さず「疑い」とする医師が多いと読んだことがあったのです。

M病院の初診

ベビーカーで電車移動

電車を乗り継ぎ30分ほどかけてM病院に行きました。

その頃息子はベビーカーで移動していました。

身体は大きく成長曲線の枠外のなることもありました。

2歳9ヶ月で 身長100cm 体重16kg でした。

電車は段差もあり、ベビーカーで運ぶのは重くて大変でした。

しかし息子は親が歩いてほしい方向に長い距離歩けなかったので、ベビーカーの方が気疲れすることがなく気持ちが楽でした。

ベビーカーは息子のお気に入りの空間で、赤ちゃんの頃から気分良く乗ってくれました。

息子がどんな様子か気になって私が息子の顔を覗いても、息子はサンシェードをピシャッと閉じて外の世界をシャットアウトすることが多かったです。

今思えば特性だったのかもしれません。

 

受付

M病院は駅近くにあったので助かりました。

建物に入る時は緊張しました。

受付で「〇時に予約している今井たくまです。」と伝え、あらかじめ記入していた問診票(予約後にM病院から送られてきた)を渡しました。

この問診票は6ページあり、書くだけでも時間がかかりました。

首座りはいつか、寝返りをしたのはいつか、など母子手帳を確認しながら書きました。

待合室で待っている間に多少緊張しましたが、それは「診断されるかも」という不安ではなく「また『心配性なお母さん』という目で見られるんだろうな」というものでした。

「このくらいで病院に来るなんて」と思われるだろうな、と。

 

作業療法士Kさんとの出会い

診察室に行く前に、別室に呼ばれて作業療法士のKさんから聞き取りがありました。

聞かれたことに答えた後、私は自分を守るために「このくらいできちゃって心配性だとは思うんですけど(笑)」と言いました。

Kさんは「は、はあ・・・」と微妙な表情をし、その時の私はどういう意味か分かりませんでした。

 

院長のM先生との出会い

Kさんと一緒に診察室に入りました。

M先生は厳しそうな表情をした方でした。

5分くらいの間に親への簡単な聞き取りをし、M先生は息子と少し遊んでくれました。

 

M先生「この年齢で診断名を出すって言うのは難しいんです。まだ良く分からない年齢で。でもこうやってやり取りをしていて”その感じ”はあります。」

突然言われたので最初はうちの息子のことを言っていると思いませんでした。

一般論の説明をしてるのかと思いましたが、雰囲気的に息子のことを言ってるようだったので聞き返しました。

やはり息子のことを言っていました。

息子に、発達障害の”感じ”がある、と。

息子との遊びを通していろいろ検査していたようです。

 

受付で事前に発達検査のコピーを渡していたのでM先生は点数の差を把握していて、やり取りを通して息子の発達を確認しているようでした。

 

形合わせのおもちゃで知能を検査

形合わせのおもちゃで息子がすべて入れられた事を見て、

M先生「この丸いのは1歳、四角は2歳、長方形は2歳半、三角は3歳の子がだいたいできるんです。たくまくんは三角を入れられたので知能は高いです。(当時2歳9ヶ月でした)」

同じようなおもちゃはこちらです↓

 

そのあとM先生は発達検査の結果の話をしました。

M先生「(発達検査K式の点数の)20点以上差があると%##%&’&&===」

頭が混乱していて良く覚えてないのですが、発達検査で各項目20点以上差があると発達障害の可能性が高いようなことを言っていました。

大学の心理学科の頃にそういえばやったような・・・有意差とかいうやつでしょうか・・・(まさか卒業後に役立つ時がくるとは思っておらず曖昧です)

 

お気に入りのおもちゃへのこだわり

例えば、

息子が玉が転がる玩具で夢中になって遊んでいるところにM先生が介入しました。

球をテーブルの上で転がして違う遊び方を提案しました。

息子は今やってることに夢中で全く興味を示さず、先生を無視しました。

この流れでもM先生は「やっぱりそうね」と言いました。

 

息子が興味あるおもちゃに夢中になっている時は私の話が聞こえてなかったり、他の遊びを提案しても興味がなければ無視なんて日常茶飯事でした。

けれど多くのこどもは、新しい遊びを提案されたらやってみるそうです。

全く無視だった息子。

私としては「えっこれくらい子供だったら普通じゃないの??」と思い、衝撃的でした。

夫もテレビを見ている時は私の声が聞こえなくて無視をするからです。

私の実父もそうでした。(実父はわざと無視している感じで、夫は聞こえていない感じです)

なので男の人はそういうものだと思っていました。

この時は分からなかったのですが、今思えば夫も自閉症スペクトラム・アスペルガー・ADDの傾向があります。

なので「夫も(親戚も)そうだから息子は大丈夫だろう」は間違いだったのです。

 

遺伝性はあるのか

あくまで個人的な意見ですが、自閉症スペクトラムやアスペルガーADHDなどの発達障害は遺伝することがあると思っています。

実際に会って話した医師でそう言っている人は多かったです。

けれど誤解してほしくないのは、発達障害は定型発達(いわゆる健常の人のこと)と比べて優劣はないと私は思っています。(遺伝性があると言っていたどの医師達もそういっていました)

例えば血液型のように、A型だったりO型のようなタイプの違いなのだと解釈しています。

この話はまた詳しく書きたいと思いますが、私は発達障害の人は能力が劣っているとは思いません。

発達障害であることが、ダメなこととも思いません。

ただ、本人と周りの人々に工夫が必要なだけです。

 

診断

 

この後に診察室の隣にあるプレイルーム(作業療法室)へ息子がK先生に連れられ移動しました。

そこは診察室から見えるようになっていて、息子の様子を見ながらM先生は言いました。

M先生「高機能ですね」

私「・・・こうきのう・・・??」

M先生「高機能自閉症です。」

予想しなかった診断に驚いて言葉がでませんでした。

M先生「重度ではないけど、中度か軽度です。」

言葉を失いました。

ほんの数分まで、診断はされないだろう、もし言われても「疑い」かグレーくらいだと思っていました。

それが、今は中度の可能性がある自閉症児になってしまいました。

 

そのあとM先生はいろんなことをお話しされていたのですが、頭が混乱していて一部しか覚えていません。

愛しい息子が、遠くに行ってしまった感覚でした。

息子は障害児・・・。

しかも自閉症。

中度かもしれない。

その言葉が頭から離れず、とてもショックでした。

 

なんだかんだと楽観的に考えていた私。

ショックが大きかったです。

息子は高機能自閉症かアスペルガーか多動性症候群の可能性があるようなことを言われました。

 

また、

M先生「過剰適応するタイプです。集団に入ったら過剰に適応しすぎて家で荒れるでしょう」

と言われましたが、まだ集団に入っていなかったためピンときませんでした。

数か月後に園に通うようになって痛いほど実感することになります。

過剰適応についてはこちら→家で荒れる子供~過剰適応について~

初診で過剰適応について言い当てたM医師はこの先も超能力のように的確なアドバイスをしてくれました。

 

M先生「大きくなってお友達と上手く行かなくて、もういいやって一人になって誰とも関われなくなって一番悲しいのはたくまくん」

と言われ、確かにこのままではそうなると思いました。

息子は自己中心的で空気を読むのが苦手なので、今のままで成長すると息子は人付き合いが困難だと思いました。

母親である私でも毎日一緒にいて辛い気持ちになるのに、他人と仲良くできるのだろうかと。

お友達とうまく行かなくなった時に私だけでうまく良い方に導いてあげられるか?と考えて、そんな自信はありませんでした。

 

早めに作業療法を始めた方が「大きくなったときに成長が全然違う」とM先生に言われて、その話は他でも聞いていたのでOTに通おうと決心しました。

M先生とお話してとてもショックでしたが、今まで気になってたことが、パズルのピースのようにハマっていった気もしました・・・。

初診5分で診断され、オブラートに包むことなく厳しい言葉を聞かされて心が壊れそうになったのですが、M先生のおかげでこの後息子は変わっていきました。

 

続きはこちら→主治医からの指導~抱きしめられない息子~

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